SMAP解散におもう (生きたまま死ぬということ)
わたしの好きな作家、米澤穂信先生の作品の1つ「氷菓」にこんな一節があります。
「… もしわたしが弱かったら、悲鳴も上げられなくなる日がくるって。
そうなったらわたしは生きたまま……」
みなさんはSMAP×SMAP最終回見ましたか?私はところどころ見てました。
5時間を超える番組であったのにも関わらず、SMAP5人の、この最終回のために撮り下ろされた部分は「世界に一つだけの花」の歌唱シーンと、その後5人が深々と頭を下げるシーン、そして番組スタッフの方々との写真撮影会?のシーン、のみ。
私はSMAPの熱狂的なファンではありませんが、物心ついたときにはすでに国民的スーパースターで、自身のiPhoneの中にも何枚かアルバムが入ってます。その存在が芸能界からいなくなるなんて想像だにしてなかった。ショックです。5人で歌う姿がまた見たかった。また若干ギクシャクしながらも5人で旅をする姿を見たかった。
28年間、SMAPはSMAPというアイドルであり続けた。
ツイッターでこんなことを言っている人を何人か見かけました。
「SMAPの追悼番組みたいだ。」
私もその通りだと思いました。冒頭の西山喜久恵アナウンサーの御通夜みたな雰囲気からして。最後に歌は歌ったけど、彼らの話すシーンはなかった。思いを伝えてくれることもなかった。彼らは生きているはずなのに、「死人に口無しとはこのことか。」とおもった。
一度もライブにもイベントにも通っていない私のような人間でさえ、あれやこれや思うことがあるのに、ガチなファンは納得いってないんだろうな。いや正直私も納得いってません。週刊誌含めマスコミから伝え聞くところによると、ジャニーズ事務所内の勢力争い、いわゆる大人の事情の結果による解散だという。(SMAP内の不和も一因であるらしいですが。)
私たちに真偽はわからないでしょう。ただこんな終わり方で本当に残念です。
長い間、諸行無常の芸能界でトップランナーであり続けた彼らに敬礼。
「さよなら。」と言えば君の傷も少しは癒えるだろう?
「あいたいよ…。」と泣いた声が今も胸に響いている
そして
何より二人がここで共に過ごしたこの日々を
となりに居てくれたことを僕は忘れはしないだろう
SMAPの曲のなかで一番好きな「オレンジ」という曲の一節です。
「さよなら。」と言ってほしかったとは言わないけど、なにか彼らの声が聞きたかった。
思いを伝えられないのは、悲鳴をあげられないのは、生きたまま死んでいるのと同じだから。
text by サカモトユウタ
我々は3ヶ月の間、"恋"をしていた
どうもはじめまして、サカモトと申します。
日々思うこと、考えることをそのままにしておくのは勿体無い、まとまった形にしたいなと思いブログというものを始めてみることにしました。
気が向いたら書いていくくらいの気概ですので、みなさんも気が向いたら読みにきてください。
(そんな感じじゃ誰も読んでくれないですよね 笑)
さて、今回はブログタイトルからわかるかもしれませんがあのドラマについて書こうと思います。
夫婦をこえていけ
この年末の忘年会、あるいは来年の新年会のために練習してる人も多いだろうなあのダンス…
PPAP…
ではなく
恋ダンス。
あのキュートなダンスも手伝って、日本中の心を掴んで離さなかった 逃げ恥、こと「逃げるは恥だが役に立つ」。
わたしはあまりドラマを見る方ではないですが、以前から好きだった星野源さんとみんな大好きガッキー(新垣結衣さん)の二人が主役をつとめるということで、最初とりあえず1話は見るか、といった感じだったのですが気がついてみれば星野源、ガッキーと駆け抜けた2016年第4クールといった感じでした。今ではすっかり逃げ恥ロスです。
ハマったなぁ、逃げ恥。
ただただ可愛いガッキーに萌えたり、みくりさんと平匡さんの不器用さにむず痒くなったり、恋の形、愛の形を考えさせられたり、縦横無尽なパロディに笑わされたり。
ほんとうにおもしろいドラマでした。
人間は脆い生き物だから、確実なものを欲しがる。愛し合ってる二人の人間にとっての確実なものって言うのは結婚なんだろうけど、あの2人は、入籍という形はとらなくて。
ある種2人を縛り付ける、制度としての結婚は必要なかったんだと思うと素敵な関係だなとも思うしフィクションだなとも思った。
契約結婚ってところからして少し現実離れしているけれど、ただガッキーが可愛いだけでなく、ただパロディを詰め込んだだけでもない、いろんなことを考えさせられるドラマだったと思います。
意味なんか
ないさ暮らしがあるだけ
ただ腹を空かせて
君の元へ帰るんだ
主題歌 恋の一節です。
この歌詞も好きなんだよな。
纏まりのない文章でしたね。また書きます。
text by サカモトユウタ